1期生 森山健太郎さん(三菱東京UFJ銀行 上海支店長代理:当時

 

このコーナーもいよいよ真打ち登場。
栄光ある?ゼミ1期生で幹事をやっていた,「王子さま」こと森山健太郎さんです。
高校時代をオーストラリアで過ごし,創立120年以来,現地の高校で初めてアジア人の学生として生徒会長を経験。一方で「帰国子女」とか「英語が上手い」と言われることが好きじゃない。しかし,女性に対して何気なく助手席のドアを開けてエスコートしてしまうその自然な姿は,彼だからこそだったのでしょう。
そんな彼だから就職も外資かと思いきや,生粋の日本企業・(当時)東京三菱銀行に行ってしまいました。2007年からはこれまた意外にも上海支店に赴任し,いまは支店長代理としてバリバリ仕事をこなしているようです。
その彼が帰国した折に家に尋ねてきましたので,この間の事などをヒアリングしてみました。

※なお,彼は2009年9月30日に帰国し,現在は大手町本部のシンジケーション部で企画・総括業務の仕事をしています。


なんで上海に行ったの?

 中国に行きたいというのは会社のなかで手を挙げていました。それはやはり経済が右肩上がりで世界を引っぱっていこうとしている,それを是非見ておきたいと。そのときは上司も「何を言っているんだ,アメリカとかイギリスとかシンガポールとか,そっちの方に手を挙げろよ」なんて言われたんですが,それでも中国だと思いましたね。欧米とかは英語ができれば行けるところもありましたけど,会社のなかにはほかにもそういうひとはたくさんいる。それよりも中国とかベトナムとかタイとかは,行きたくないひともいるかもしれないけど,逆に行きたいのにいけないこともある。そういうところに行くことに価値があると思ったんです。


で,行ってみてどう?

 行ってみて…それは大変ですよ,日本より大変です(笑)。なによりインフラがいまだにぜんぜん整っていない。日本だったらひとりで一台,そして必ずネットに接続しているけど,だいたいパソコンがインターネットにつながっていないんです(笑)。ウソじゃないですよ。合併があってからシステム統合をやってきたわけですけど,国内が大変で,海外の統合・整備が後回しになってしまっていたんですね。
でも,来てる人間はみんな優秀なので。共通しているのは,自分で考え,分析して,自分で解決策を見つけることができる。やるときはみんなを巻き込んで引っ張ってやると。そうじゃないと逆に海外では潰れてしまいますよね。だから,自分で動く仕事もしながらマネジメントの仕事もできる,これが海外で働いていてすごくためになっていることです。その意味では,いま谷地ゼミでやっているような,自分で考えて,さらに考え方自体を実地で学んで,アウトプットを出して,さらにそれを出すときにどうしたら相手が受け入れるのかを考えながら出すと。それをトレーニングして社会に出すというのは,絶対に無駄な時間ではないと思いますね。
日本の悪いところは,やっぱり考えさせるということをしないとか,意見を言わせる機会を持たせない。でもそれはひとのせいにしている側にも問題がある。わたしも最初に東京から大阪に行ったときは,ほんとなにもわからないし,なにもできないし,いっつも上司に怒られてばかりでした。なんど急性腸炎になったことか(笑)。でも,その間に自分で誓っていたんです。4ヶ月経ったら絶対のこの上司を黙らせるぞと。そういう意気込みで腹くくって。


関西ということではどうだったの?まったくイメージ違うし(笑)

 いや,上司も良かったし,メンバーも良かったんですよ。各店ごとに表彰があるんですが,しばらくするとそれもとるようになりましたし,お得意様からも「誰でもない,お前はどう思うんだ」と。「お前の考えだったら聞く」と。いろいろご相談を受けるようになって。そうこうしているうちに,あの店ができてからの在任期間はいちばん長いんです。店ができてから42年なんですが,3年9ヶ月いました。


ふ〜ん,関西って聞いたときはどうなることかと思ったが,鍛えられたようね。

 そうですねえ。言われてやるってのは誰だってできる。でも,自分で考えて,自分で決断して,そこにもっていくためのプロセスを考えて,まわりを動かしていく。そこでいろんな壁とか問題にぶつかりますけど,そこを乗り越えるまでの忍耐力。足りないところはこれは誰でもあるわけで,そこは勉強する。能力が足りなくてその分を補うなら,たとえばメシ食う時間を割くとか寝る時間を割くとか(笑)昼飯食わない,睡眠削ると(笑)衣食住は確かにベースだけど,一食抜いたって一晩寝なくたって人間死にやしないと。睡眠時間1時間だって生きていけますよ,しばらくは。そこまでやるべきことを認識しているか,やる気になるか,やるか。それだけでしょ?やらなくちゃいけないのは,それでもわかってるし言えるでしょ。


(笑)ところで,さかのぼってしまうけど,なぜこの会社に?

 僕はもともと外資系のコンサルとか金融を受けてまして,これから企業の買収や合併がどんどん進んでいく,それに関わる仕事がしたいと思うようになったんです。その為にはファイナンスや数理のノウハウがないとダメだと思って,外資系コンサルや金融とかの企業を受けていたんです。メーカーも受けてましたけど,その時は,メーカーの場合,最後は手に職をもって実際にモノを作る事が出来ないと,生き残れないんじゃないかと思ったんです。
 メリルリンチとか外資系金融企業数社から内定は頂いていましたが,ある時大学で,「お前は帰国子女で英語が話せるから外資でも有利なんだよ」と言う言い方をされた事があったんですよね。一方,姉が某邦銀で重役の秘書をやってまして,話を聞いていると,やっぱり俺には合わないなぁと思って,まったく日系金融機関の就職活動はしていなかったんですよね。でも,大学で周りからそんな言い方をする声が遠くから聞こえ,すごくカチンと来まして,そこから邦銀の就職活動にようやく目を向けるようになったんです。しかし,目も向け始めた時には周りの学生は,もうあと二回の面接で内定が出る様なステージまで進んでまして…。でも,そこから幸いキャッチアップする事が出来ました。


ここだけを受けて?

 はい。日本の金融で世界で生き残っていける会社はどこかって当時自分なりに考えたら,やっぱりいま自分が勤めているココしかないと思って。それで自分から電話を掛けたんです。で,「どうか面接を受けさせて下さい」と。そこから他の経済学部や経営学部で同じように就職活動をしていた学生が進んでいたステージまで何とかキャッチアップしまして,内定を頂く事が出来ました。いま思えば,なんてリスキーな事をしたんでしょうかねぇ。なにしろ日系の金融機関は1社しか受けませんでしたから。内定取得してなかったらバカですよね(笑)


ホント,内定を取れたから良かったものの,それで落ちてたら馬鹿者だわな。

 ところが,その間にメリルリンチに通ってしまったんです。日本の現法ではなく,アメリカ本社の新卒採用として。で,バイスプレジデントが出てきて「サインしてくれ」ってなったわけです。外資でサインとなると,オフィシャルな契約ですから「う〜ん」ってなってすごく迷いました。「待ってくれ」って待つような会社でもないですし,サインしちゃったんです。その後,(当時)東京三菱から「メリルリンチも決まってるけど,よく考えてくれ」と言われました。その時,改めて10年後,20年後にアドバイザリー的な仕事をすると言う,それまでの行程でどういうルートで行ったら良いのか,姉にも相談をしました。そしたら姉は,「外資の金融とかコンサルから邦銀に移るのはカルチャー的に難しいよ,逆の動きは能力があれば外資系やコンサルはウェルカムだけど」と。それで,いま自分が勤めている邦銀に最終的に決めたんですよね。これが日系金融機関の就職活動では一番最初だったんですよ。
 でも,あの時は本当に充実していて,楽しかったですよ。確かあの時は睡眠時間が2時間とか3時間が普通でしたけど,自分は実は大学2年から就職活動始めていたんですよ。一橋とか早稲田とか慶応に行ってセミナーとかに参加してましたし。あのあたりの国立や私立は就職活動の動きが早いですからね。まあ,自分は国大の中では異端児なのかもしれませんが。


やっぱり,このあたりの積極さというか,ガツガツさというか,ここらへんが差の出るところなのかなぁ。あんまりうちの学生では聞かないよね,そういうの。ところで,もっとさかのぼってしまうけど,なぜうちの大学に?

 僕はもともと関西学院に行きたかったんです。帰国子女扱いとして合格はしていたんですが,オヤジから「お前,国立も受けろ」と言われまして。私は姉が二人いるんですが二人とも私立大だったんですよ。オヤジとして出来れば国立に行ってくれっていう思いがあったんでしょうね。ところが,言われた時には一橋とかの試験はもう終わっていたんです。受験できる大学が無いじゃんと。それで見てたら横浜国立大学があり,受験しましたら偶然合格する事が出来ました。


そうなんだ,ぜんぜん知らなかったわ。じゃ,最後の質問だけど,今後どんなふうにしていきたいの?

 今はまだ上海にいまして,行った頃の2007年と比べると中々「法人新規」の業務は難しく,中国進出も落ち着いてしまいましたし。他行のお客をひっくり返して新たな取引を取得する仕事をしていまが,それだけやっていてもダメだなぁと思ってます。何か上海支店で無かったものを「形」として作り,残さないといけないなぁ,と。経済もこんな状況で日系企業では海外のメンバーも出来るだけ本邦に戻す傾向になっていますし。
 成果を残せたら,一回日本に戻って,丸の内の本部で「企画業務」をやってみたいですね。
 今ここでなにをしないといけないのか。30代の今のうちに,会社で何をしておかないといけないのかを考えておく必要性は非常に重要ですね。40歳とか50歳で支店長になった時の事を考えると,体力のあるうちに企画業務は経験しておきたいですね。本部の企画は場合によっては土曜日も出勤しますし,タクシー帰りもありますからね。
 本部で企画業務を経験させて頂いた後は,また海外に出て日系大企業を担当する法人担当の仕事をしてみたいですね。その上で,出来れば史上最年少で支社長(法人担当セクションのトップ,リテールで言う支店長の職位)になりたいですね。


さすが大志を抱いてるね〜(笑)

 そりゃあ,やるからには人がやってないことを歴史的に刻み込みたいですね。これは高校の時からの考えで「言う事は誰にでも出来ますが…」。